JR美祢線(大嶺支線)探訪
大嶺支線の概要と沿革
大嶺支線とは
山口県を走るJR美祢線(厚狭〜長門市間 46.0km)の南大嶺駅から分岐し、大嶺駅へ至る2.8kmの路線で、正式にはJR美祢線の一部です。
大嶺支線の沿革
日露戦争の時、海軍が大嶺炭田から産する良質の無煙炭を軍艦の燃料として使用する計画を立てた。その輸送のために厚狭〜大嶺間の鉄道建設を山陽鉄道株式会社(当時、現在の山陽本線を経営)が突貫工事で実施し、明治38年9月13日に厚狭〜大嶺間が開通した。
その後、大嶺線の日本海側への延長が行われることとなり、伊佐(現・南大嶺)〜重安間の軽便鉄道を買収するなどして、大正13年3月23日に正明市(現・長門市)まで開通した。
昭和46年に最大の炭坑が閉山したため輸送量が減り、昭和58年には貨物営業を廃止した。また利用者数も、大嶺駅の乗客数が平成7年度で14人/日と極端に減少したため、JR西日本は平成9年2月10日に中国運輸局に対して大嶺支線の廃止許可申請を出し、同年4月1日に廃止された。
参考資料:
朝日新聞 2月11日付 朝刊 山口版記事「JR大嶺線廃止を申請」
「鉄道いまむかし」山口県立山口博物館 編
現役時代の大嶺駅
平成3年1月4日に訪れたときの写真です。
625D 南大嶺8:02→大嶺8:06
626D 大嶺8:45→南大嶺8:49
乗客は、それぞれの列車で私を含めて2人だったように記憶しています。
※写真をクリックすると大きな写真を見ることができます。
大嶺駅ホームより望む
石炭の積み出しをしていた頃広がっていたであろう側線はすべて撤去され、広い草むらになっていました。
大嶺駅の駅舎
堂々たる駅舎も、訪れたときは無人駅でした。
大嶺駅ホームに佇む気動車
「おおつのしか」のヘッドマークを付けた単行のキハ30形気動車が往復していました。
大嶺駅の駅名標
「12マイル15チェンの終着駅」として、明治の頃の突貫工事を紹介しています。
説明文を記録しておかなかったのが今となっては残念。
12マイル15チェンの距離標
上の紹介文の中に出てくる距離標。大嶺駅のプラットホーム側面に埋め込まれています。
※80チェン=1マイル。イギリス式の距離表記。
大嶺支線廃止前の南大嶺駅にて
上の写真と同じ日に撮影したもの。
セキ車
石灰石を宇部のセメント工場へ運ぶ貨物列車。
これがあるから幹線扱いだったが、専用道路+トラック輸送に転換してしまった。
距離標
南大嶺駅は10マイル37チェン。
廃止5ヶ月後の様子
平成9年9月6日、青春18きっぷの残り1日分を使って今はなき大嶺線がどうなっているか見に行きました。当日は雨でした。南大嶺駅で降りた私は、ダンプカーが行き来する県道を歩いて大嶺駅に向かいました。雨も手伝って、営業キロ2.8kmは予想以上に遠かった・・・。
南大嶺駅
大嶺支線の列車が着発していた線路は埋められ、長門市方面用のプラットホームになっていました。
上の10マイル37チェンの距離標は恐らく埋められた下に。
南大嶺駅場内信号機
草むらに埋もれた線路の横にそっぽを向いて立っている場内信号機。
大嶺駅跡
この当時は現役時代ほぼそのまま。
その後駅舎・ホームとも撤去されたらしい。
大嶺駅プラットホーム
線路跡は草に埋もれていました。
12マイル15チェンの距離標があったところは無惨にえぐられていました。(写真の下のあたり)
貴重な文化財。どこかに保存されているといいのですが。