つもちゃんのひとりごと (2015年06月)

古い記事のリンクは切れていることがありますが予めご了承下さい。
2015年06月29日  本日のお題:ピーターの法則とか
ツイッターとかFBで任天堂を辞めた人のエントリが回ってきました。
そこで触れられてたのが「ピーターの法則」
これ、自分も1〜2年前に何かのきっかけで知ったのですが、要するに
「階層的な組織に属する人間は、必ずその人の無能レベルまで昇進する」

今、自分が立っている立場になって4年が経過しました。
その上の立場にならないかという話が無いわけではないのですが、ピーターの法則が頭をよぎります。そういう声がかかるということは、声をかける上司の側はそれなりの評価をして下さってるのかも知れませんが、得てして部下の評価は違うわけで。当然、自分に求めるものは上と下では違いますし。特に最近、部下に対する自分の言動や判断がマズイなー、と思うことも多々あって、反省の日々です。
そういえば、ちょっと前に逸般の経営みたいな話も書きましたが、多分にピーターの法則的な話もあるのかも知れないと何となく思ってます。

この記事のきっかけにしたエントリの中には、「部長」の誤った判断がいくつか出てきます。こうして第三者的に読むと確かにどうかと思う判断ですが、実際に自分がその立場になったとして、その「部長」のような判断をしない自信があるかというと、正直言って無いし、その事例ほど酷い話ではないにしても、自分もこれまでにそういう判断をしたこともあったのではないかと思います。そういうこともあって、少なくともピーターの法則で自分が他人に迷惑をかけるわけにはいかないなぁ、と思います。とはいえ、立場が人を育てるというのも事実で自らの経験もあるのですが。

少し前に価値観の話を書きました。ある件に対して、根本的に価値観が違うと、ものごとの受け取り方も全然変わってきます。例えば同じ打ち合わせに出席して、受け取り方が上司と部下で正反対だったということもあり得ます。そして、その出席者同士で受け取り方の共有も十分に出来ない関係だったとすると、その打ち合わせ結果に対してどうすべきかという本質的な議論すら実現できないわけです。
第三者的に読めば「それはちゃんと共有しろよ」ということで、それが出来ない状況を作り出してるのがピーターの法則そのものなのかも知れませんが、少なくとも自分のステークホルダー(上司とか部下とか関係するみんな)とちゃんと対話できる関係は拡大しないとな、と思うわけです。自分のもっとも苦手とする分野ですけど。
2015年06月08日 その2  本日のお題:足音
もう1ヶ月も前の話ですが、ミスチルのライブに行ってきました。
昨日ニューアルバム買って、聞いてると思い出したので何となく。

今回、ミスチルは結構壮大な実験をしたんだと思うんですよね。
普通、アルバム発売した後にツアーが組まれるんだけど、今回はツアー最終日にアルバム発売。ライブに行く人は、1/3ぐらいの曲を知らずに行くわけです。そういう観衆の中でのライブがどのような感じになるのか。そして、その後のアルバムの売り上げにどう影響するのか。
そして、来月からスタジアムツアー。「未完」というタイトルが非常に気になるものの、アルバム発売後となるので、この観衆の反応はまた違うはず。
こちらのチケットも取れたので、今から楽しみです。



で、タイトルの「足音」ですが、「足音 〜Be Strong」の歌詞より。

新しい靴を履いた日は それだけで世界が違って見えた
昨日までと違った自分の足音が どこか嬉しくて

いや、ちょうどライブに行った2週間前ぐらいに、少し奮発してREGALの新しい靴を買ったんです。
ちゃんとした?革靴で、コツコツと硬い足音。
こういう靴で、こういう感触で歩くのは初めてで、ちょっと嬉しかった。
だからどうっていうことはないんだけど、あまりにも歌詞と同じ感覚で、タイミングが良すぎて、ライブの時にすっと耳に入ってきたんです。

今という時代は
言うほど悪くはない
また一歩 次の一歩 靴紐を結び直して
喜びを分かち合い
弱さを補い合い
大切な誰かと歩いていけるなら

なんか、歌詞を聞いて、ちょっと希望が持てるような気がしました。
今日も、その靴を履いて出勤します。
2015年06月08日 その1  本日のお題:一般とは。
少し前に「#逸般の誤家庭」というハッシュタグがちょっと流行った?ことがありました。ネットワークエンジニア界隈で、自宅に業務用ネットワーク機器を置いてる、廃人ぶりを自慢するものでしたが、いや、上には上を行く人がいるもんだなぁ、と思ったものです。なにより、このハッシュタグの当て字が秀逸ですわな。

うちの家庭は一般か逸般か。自分の行動は一般か逸般か。自分の勤める会社は一般か逸般か。

自分では一般だと思ってても、逸般なことって結構ある気がする。
ざっくり言うと「価値観」なんだろうけど。

逸般だよなぁ、と何となく感じていても、一般を体験してないと、一般とは果たしてどういうものか、分からないんじゃないかな。
虐待された人は親になっても虐待するっていうのは、そういうことなんだと思う。いま、結構実感してるんだよね、これ。

きっと会社も同じで、逸般な経営しか見てない人が生え抜きで経営に携わっても、きっとマトモな経営って出来ない。
かなり危ないんじゃないかなぁ、なんてとめどなく思うのでした。

今月分へもどる