つもちゃんのひとりごと (2016年09月)

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2016年09月18日  本日のお題:考え方が偏るということ
twitterとかFacebookとかを見てると、自分がフォローしている人の発言がタイムラインに流れてきます。当たり前ですけど。
そこに流れてくる内容って、自分がフォローしている人の発言なわけだから、どちらかというと自分に近い考え方のものが多くなると思います。ウザかったらミュートしたりするわけですし。
これって、実はすごく危険だなぁ、とも思っています。タイムラインを見てると、それが世間全体のように錯覚しちゃうじゃないですか。みんな同じこと考えてるんだ、と、自分を正当化するために使ってしまったり。
こういう、実は「全体のうちの一部」の情報をあたかも全体と捉えてしまう、というのは、SNSが出てきて顕著になったんじゃないかと思っていました。(もちろん、それまでもマスコミに思想が左右されるとかいう話はありましたけど、それは「受け手が得ることが出来る情報自体が制限される」ということなので、「情報自体は幅広に受け取ることが出来るのに受け手が制限する」という話とはまた別。)

ところで、本の要点を伝えるために、付箋が貼ってある本が渡されるということがよくあります。自分も時折本に付箋を貼って人に渡すことがあります。
付箋が貼ってあるということは「付箋を貼った人は、そこが重要だと思った(そこを読んで欲しいと思った)」ということでしょう。でも、本というのは、全体でもって論拠を示しているわけで、あるAという主張がBという事柄を前提として成り立つなら、Aだけを読んではダメで、Bも合わせて読まないと全く意味を為さないわけです。
とある本は、どうも付箋の付き方などからして、Bの部分に目をつぶっているのではないか?と思えたのです。もしそうだとしたら、先の「全体のうちの一部」を全体と捉える類例かな。SNSじゃなくても起こりうることなのかな、と思いました。

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