つもちゃんのひとりごと (2012年07月)

古い記事のリンクは切れていることがありますが予めご了承下さい。
2012年07月29日  本日のお題:宇品の花火大会
もともとは別の所に行く予定を考えていたけれど、急遽近場で。
その別の所でのセッティングも考えてこのレンズをチョイスしていたのですが、宇品では広角側がやや足りないという事態に遭遇。まぁいいか。

以前も来たし、そんなに写欲があるわけでもなかったけれど、とりあえず機材があるので行かなければ後悔すると思って。でも、前回腰を据えて撮ったのは4年前なんですよね。そのときも2時間ぐらい前から陣取ってたと思うんですが、今年も同じぐらいの時間に到着。以前は2時間も大して苦にならなかった気がするけど、今年は長かった。雑誌持って行ってて正解。

今年も風が無くて煙が逃げず、写真的なコンディションとしては良くない状況。
比較的マトモに撮れたっぽいのでこんな感じかな。
真ん中の写真の花火、茎に葉っぱが出ている感じで面白いと思いませんか? 初めて見たと思います。


そして、シャッタースピードを比較的速くして、型物を型物っぽく撮るチャレンジ。
やっぱりどうしても線として写るのでこればっかりは現地や動画で見るべし、という感じですね。

真ん中辺りに「ハート」。
やっぱり暗いよねぇ。

左上のものですが「ドラえもん」です。
少しは雰囲気出てるでしょうか。

そして、水中花火。

圧巻でした。
いつも疑問なんだけど危なくないのかな?

今年は自転車で行ったのでバスの時のような待ちは無しで帰れましたけど、今回停めた競輪場の駐輪場ではなくて、高速3号線の高架下辺りに停めて、南警察署の方向に出た方が正解かも。
2012年07月25日  本日のお題:本日の一冊
少し前に「決められない」話を書きました。
これまで39年間近く生きてきて、結局明確に自分で決めたことってほとんどないな、と最近いろいろ考えるんです。
友達と雑談したとき「やらないというのも選択、決断」とも言われたけれど、自分の経てきた道は流された結果そうなってるんだしなー。
仕事をする上でも、ある程度独断と偏見で自信を持って決められるところは決めてやってきたけれど、人と一緒に決めなければならないことって未だに結構人任せ。
イチローがどれだけ考えたのか分からないけど、この時期に突然移籍とか、スゴイなー。
そんなことじゃいかんね、仕事もプライベートも。

というわけで、本日の一冊。というかまだ読みかけだけれど。
「あれこれ考えて動けない」をやめる9つの習慣(和田秀樹 著)
中古で買ったら前の所有者の書き込みが入っていて、ざっと斜め読み。
読むと「あれこれ考えるより動く」とか、こう考えていいんだ、と少し気が楽になります。まぁ「他人に頼る」とか、結局のところそれが出来ないから今に至っているのですが。
時々、完全に思考が凝り固まってしまったときに開くと良い本かも知れません。
2012年07月23日  本日のお題:RSSの仕様を変えました。
これまで、このページのRSSでは概要(description)として各記事の最初の1行だけを配信していたのですが、記事全体をcontentとして含むようにRSSの仕様を変更しました。なお、当月と前月の記事をRSSの対象とする点は以前と変わっていません。
HTMLファイルを自作のスクリプトでRSS化しているのでひょっとしたら変になっているかも知れませんが、そこは大目に見てください m(_ _)m

これまで15年間、頑なにHTML直書きにこだわってきました。
ブログシステムに依存してしまうと、バックアップが大変で、ブログシステムが壊れたりサービスが変更や廃止されたときに困る、というのがその理由。HTMLだったら、とりあえずhttpd立ち上げたサーバに手許のファイルをアップロードしさえすれば復旧できますし。
ただ、トラックバックとか「いいね!」とかコメント欄とか、そういう双方向性の仕組みが一切無いのも面白くないと結構前から感じています。そういう意味で、facebookなど他のサービスとの連携を今後出来ればいいのかな、と考えています。
あと、自身が主にRSSリーダーを使うようになったということで、RSSに全文出てこないのが結構面倒と思うようになってきたこともあって、今回の仕様変更となりました。

でも、変えようと思ってから年単位で時間が経ってるんだよなー。
スクリプト改造は2時間ぐらいで出来ちゃう程度なのに・・・。
2012年07月22日 その3  本日のお題:手書きということ
元ネタはデジタルとアナログと思いやりとかかる手間と 〜 手書きと電子メールをめぐってです。
他人とやりとりや依頼をするときに、手書きの手紙にすべきか、それともデジタル的なメール、印刷物にすべきか、という論争。
上のリンクの最後の辺りに「ミラーリング」、つまり相手の感覚に合わせる、ということが書かれている。結局そういうことなのかな、と。
あと、例えば年賀状であれば、手書きで一言添えてあれば自分を思って書いているという、自分へのカスタマイズ感がある、ということが手書きの効用なのかもしれない。上のリンクでQRコードにメッセージを入れて失敗したエピソードが書かれているけれど、QRコードでは「自分宛のカスタマイズ感」が無かったのではないかな、と思う。たぶん住所氏名電話番号程度が入ってるのかな、という感じか。

ちなみに自分は大切なものは(それなりに)アナログ派かな。
でも、最終的に手紙の形態になるものでも、文章の推敲はパソコン上でやってます。ただ手書き清書がかなり苦痛なのは事実。
あと、葉書や手紙に記念切手や風景印を使うこともありますけど、気付かれることは稀。完全に自分の趣味の世界だと思ってます。記念切手はシートで買うのでそんなに買う手間はかからないのですが、風景印は差し出しが面倒なので最近はやらなくなってしまいました。
2012年07月22日 その2  本日のお題:本を読むこと
最近、数冊本を読んでいる。
でも、いつも本を読んで、その内容が実になったためしがない。
というよりも、その内容が頭の中に留まらない、というのが正解かも。
みんな、読書ってどうやってるのかな?
線を引くとかした方がいい気がするけど、何となく本を汚す行為には抵抗があるんだよね・・・。
2012年07月22日 その1  本日のお題:メモをすること
私はメモが苦手。
まず話を聞きながらメモるという、2つ同時にこなすことが出来ない。
というよりも、話を聞きながらサマりながらメモるというのが出来ないというのが正解かも。
そして、そのメモを使うという習慣が全くない。

メモ術の本は多く出ている。しかし、メモるとかメモを使うとか根本的な部分は前提条件で、それをいかに上手くやるかという本はたくさんあれど、根本的にメモることの本質とかメモを使う本質とかを書いた本ってあまりないんですよね。
自分のプライベートのメモ帳って、半分ぐらい旅のプランニングノート、もう半分ぐらいはその時考えたことのメモだったりして、それも同じ内容が何度もリピートしてて全然進化がない。
みんなどうしてるのかな?

少し話が変わるけれど「思考に全然進化がない」というのも良くないなぁ、と。
ひとつひとつ、悟りの境地と言ったら言い過ぎだけれど、悟って結論を出して、それで次の課題に思考を移行する、というプロセスをどう作っていけばいいのかな?
2012年07月20日 その2  本日のお題:決められない政治
って批判されていますけど。
自分も決められない人なので他人のことはとても言えません。
変わる、というか一歩踏み出すって難しい。ホント、そう思います。
2012年07月20日 その1  本日のお題:リスクの話の余談。
このホームページがあるサーバは私の自宅にあります。
メールもそのサーバで受けています。
夏は35度を超えるような部屋の中に設置しています。停電もします。
一応バックアップは取ってあって、予備機で起動すればなんとかなるはずではあるけれど、速攻できちんと復旧させる自信はありません。そもそも自分が物理的に自宅に居ない場合は復旧不可能です。
実際、何度か故障で停止したことがあります。

そう考えると、外部のVPSか何かを借りた方がリスク管理的にはよほどマシだと思うんですよね。論理的な部分はカバーする仕組みを作る必要があるけれど、物理的な部分はプロがしっかり維持管理してくれる。

で、なぜVPSを使う踏ん切りがつかないのか。
丸ごとバックアップする仕組みが難しいとか、遠隔コンソールでどうにもならなくなった場合が恐いとか、慣れたFreeBSDを使いたいとか(使えるVPSも勿論あります)そういうのが主な理由ではあるのですが、
「VPS事業者の原因でトラブったときに腹が立つ」
というのも少しあるのかな、と。
自分がやって失敗したり、自分の管理下の機械が壊れることは、自業自得というか、腹を立ててもぶつける対象がないから諦めざるを得ないけれど、これがお金を払って受けてるサービスで壊れてしまった時は、諦めるより前にどうしても事業者に対して腹が立ってしまう。
先日ファーストサーバで大規模な障害が起きましたが、あれだけ安い料金であっても、やはり自分(の管理下のもの)ではない原因だと、その原因に対して怒りをぶつけようとしてしまうんですよね。

結局「壊れた」という結果や影響では同じでも、自分が感じる怒りの度合いはやっぱり違う。
私たちが感じる「リスク」っていうのはリスクではなくて恐怖や怒りなのかも知れない。
2012年07月18日 その2  本日のお題:マッチを買った日
梅雨明けして暑くなった昨日。
家に帰って、暑いにも関わらず煮物でも作ろうと、材料を切って鍋を準備。
で、ガスコンロにかけて火をつけようとするも・・・。
何度つまみをひねっても、がちゃがちゃと音を立てるだけで着火しない!!
火花が飛んでる雰囲気もない!!
しかし、もう材料も切ってあるし、ここで煮物以外にチェンジすることはあり得ない。
まぁ、コンロのメンテナンスも悪かったし、買い換えるか。

幸い帰宅が早かったので、近所のホームセンターはまだ開いてる。
ホームセンターに行って、このガスコンロの都市ガス用は、と聞くも、
「今、切らしてるんですよねー。今日も入荷しなかったし」
なーぬー!!
LPガス用は在庫あるのに!!

近所に他にガスコンロ売ってそうなところは無い。
諦めようかと考えた時、ハタと気付いた。
着火しないだけなんだからマッチでつければいいじゃん。
店でまず目に付いたのはチャッカマンだったけど、使い捨てでなんだかエコじゃない気がする。それに、チャッカマンのガスよりマッチの方が危なくない気がしてマッチを選択。
店員さんにマッチの所在を聞いてみると、そこは線香とか蝋燭とかの仏壇用具のコーナーでした。なるほど・・・。
1箱でいいのにと思いつつ、1ダースがセットなのでしょうがない。198円で購入。

さて、家に帰って、マッチをつけて、コンロのつまみをひねると、
マッチ使わなくても普通に火がつきましたとさ。

おしまい。


しかし、イマドキの人にとって「マッチ」って何なんでしょうね。
自分が子どもの頃は、結構ノベルティ的に使われていて、それで用が足りていたので買うという物というイメージはそんなになくて、でもゴミの野焼きや、蚊取り線香使ったりするのに、普通に使ってました。でも、そういうことをしなくなってきた現在、「火をつける」という行為自体がほとんど無くなってるのでは。あ、この季節なら花火もあるけど、自分が子どもの頃ほどやってるの見ない気が。
マッチが使えない子どもって結構いるんじゃないかな?
2012年07月18日 その1  本日のお題:統計的リスク評価と人が感じるリスク
たまたま発見したこれ、非常に興味深かった。
「リスク報道を超えて 死亡数によるリスク表現」

もちろん、これは評価の一手法であるし、そもそも数値や前提がかなり乱暴なので、これを元に論ずるのは危険だとは思う。
#これに昨年の震災を反映させたら果たしてどのようになるのか、興味のあるところ。

これを元に論ずるのは危険とは言いながら、一番下の「死亡数の多い順」の表を見てみる。
すると、現在の日本ではあまり現実的でない「飢餓」を除けば、病気や肥満、酒、たばこといったものが上位に入っている。自殺っていうのも結構上位にある。これらは2つに分けられると思う。
  1. 不可抗力の病気。
  2. 嗜好品摂取など、自分の行動に起因するもの。
それに対して、下の方に来ると
  1. 自然災害
  2. 公害
  3. 食の安全性に係るもの(添加物、サプリ、農薬、食中毒など)
という感じ。

これに対して、これが「死亡数」ではなくて「恐怖を感じる度合い」という指標で並び変えたらどうなるか、と考えると、公害とか食の安全性、今だと自然災害や原子力関係が上位に来ると思う。
つまり、極論かも知れないけれど、「人が感じるリスク」というのは、
  1. 実際に死ぬことがリスクなのではなく、よく分からない恐怖が本当のリスク。
  2. 自ら選択したリスクはリスクではなく、他者に起因するリスクが本当のリスク。

要するに、死亡数などを元にした統計的なリスク評価と人が感じるリスクを同列に議論してしまうと、永遠に平行線なわけですね。

もう少し掘り下げて考える必要があると思うけれど、今日はこの辺りで。
2012年07月09日 その2  本日のお題:JANOGの価値を伝えること
JANOG30に行ってきました。
というか、今回は会社が終わって速攻倉敷に移動、懇親会だけ出て、夜2時まで飲んで、朝倉敷から出勤した、というだけで本会議には出席せず。
結果的には本会議とか、前日の講演に出席しなかったのはかなり後悔することになったのですが、自分で選択したこと、しょうがない。



「JANOGに行くというよりは、JANOGな人たちと時と場所を共有するために行く、という感じ。これが単なるセミナーと絶対的に違う。」とツイートしてた人がいたけれど、ホントそうだと思う。
JANOGな人たちって、すごくモチベーションも高くて、実力もあって、実行力もあって、それでいて自分たちと似たような悩みも持っている。自分にはモチベーションも実力も実行力もなくて、それはここ数年でいろいろあったところで痛感して、自分のマイナス思考と発言に自己嫌悪に陥るんだけど、そういう人たちと時と場所を共有することで空白の半年間を埋めたような気になる、気になっているだけではダメなんだけど、何かが出来るような、モチベーションが上がってくる。悩みを話すことで気持ちが整理される。そして、こういう場に、それも業界を代表するような方々に自分を覚えていて下さっている方が大勢いる。それを確認するために行っているようなものである。
そして、時と場所を共有する、ということは、継続して出席していなければ理解できない。私も遡ればJANOG3の頃から出席しているけれど、最初の数年は懇親会にも出席せず、それこそ単なるセミナーとして位置付けていて、その内容が技術的に興味があるから結果として継続して出席していた。それが、仕事つながりの方がJANOGのスタッフをされていた関係でJANOG7ではロガー(当時はセッションのログをテキストで残していた)を務め、(恐らく)JANOG9から懇親会に出席するようになり、いろいろな伝手で次第に知り合いが増え、今に至る。本当に人見知りな自分がそれだけの知り合いを持てたのも、継続して出席しているからこそ、だと思っている。

今回、懇親会の後2次会、3次会と進んで人数も減り、日付も変わり、4次会は4人。いつも仲良くさせて頂いているメンバー3人と、自分たちより10歳ぐらい歳下の若手。
その若手の人、知って数年になるけれど外見は少しぽわんとしたイメージ。でも、今回初めてしっかり話を聞いて本当にモチベーションと勢いがスゴイな、と。納得いかないことを追求しようとする姿勢であったり、納得いかなかったとしても業務としてやるからにはより良くしようとする姿勢であったり。本当にびっくりした。自分には出来ない。イメージががらっと変わった。本当に尊敬に値する人。

そういう優秀な若手の人材に、果たして我々は良い影響を与えているのだろうか? その潜在能力を引き出せているだろうか?
JANOGな人には、自分たちよりもっと素晴らしい人がたくさんいる。他力本願かも知れないけれど、若手の人材には、そうした優秀な先達たちと時と場所を共有することが必ず何かの糧になるのではないかと思うし、それに気付いて欲しいと思う。



自分がJANOGに行くとき、ほとんど自腹で行っているのにはいくつか理由があるけれど、先に挙げたツイート、要するにJANOGな人たちと時と場所を共有して得られることは、自分に影響することであって、それは報告書や何かで伝えられる域を超越しているし、会社に直接的に利益をもたらすネタではない、と考えていることが主な理由。
そして、別の理由として、会社の限られた予算の中では、毎回同じ人に出席させるということは難しい現実がある。
業務的にも、特に運用担当であれば物理的に空けるわけにいかないという意味で難しい面があると思う。そういう意味で、自分の場合かなり他人に迷惑をかけている面は否めない。
こういう背景や考えの中で、翻って自分が上司として若手の人材と接することになった場合、どう接し、誘導し、認めていくか。接する相手にもよるだろうけど、事ある毎に話して勧めていくしかないのかな、とも思う。

まぁ、自分みたいなヒネクレ者が部下だったら逆効果かもね。
2012年07月09日 その1  本日のお題:西の空。
金曜日の夕方、突然、雷を伴う豪雨。
少し経って、雨が小康状態になったとき、西の空。


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